3月28日 お取り寄せサロンKuriKuri が開店一周年を迎えた。 ⇒2007年3月28日の記事kurikuri
仲間内では、絶対1年は持たない ! などと予言( ? )されていたけど、なーんてことはない、ちゃんと頑張っていた。
まずは目出度い。
生憎の雨模様ではあったがパーティーに馳せ参ずる人も多く、嬉しい限りだ。
席に着くと 前菜のプレートが供され、飲み物も自由とあって 集まった人たちの間に話の花も咲き、楽しい時を過ごした。
中でもirifuneのお気に入りは、右下のこはだの酢締め。
左下は豆のサラダ。鯨の大和煮、ほうれん草のゴマ汚し、鳥のマリネ、タン・スモーク・・etc.,
前菜だけでは物足りないという人には、2種類のピラフが用意されていた。
添えられたラッキョウもとても美味しかった。
irifuneの住人達で贈った花もついでにパチリ。
またさらに一年を頑張ってもらうことにした。
某日、乃木神社を訪ねました。
大正元年9月までは「幽霊坂」と呼ばれていたこのあたりを、乃木大将の殉死以来改名されたと碑文にある。
由緒
大正元年9月13日、明治天皇の御登迦に殉じて、乃木将軍ご夫妻が自刃されてから、その誠烈に感激して乃木邸へ来観するもの日を追ってその数を増していった。・・・・。
時の東京市長坂谷芳郎男爵などが・・・ご夫妻の英霊を奉安し、毎年9月13日には祭儀を挙行し、・・・大正8年神社創立を許可せられ、12年11月1日鎮座祭を斎行した。・・・。
と、ある。 詳しくは⇒乃木神社
鳥居をくぐって結界の中へ。 鳥居の右側へ入ると社殿。
旧乃木邸の裏門に入る。真っ赤に紅葉した椛が火のようだ。
中庭から見る乃木邸。
乃木邸の正面から入ると右側に厩があり、玄関を見ながら仮設の見学通路を通る。
小ぶりな、しかし頑丈そうな造りの2階建ての住居の周囲を外側から覗き込んで見るように回廊がある。
ステッセルと会見した居間。隣に自刃した和室。回り込むと婦人の居室があり、そこで夫人が自害したと説明書がある。
祖霊舎 乃木家祖先の家廟。二人の令息の御霊も祭られてある。
裏庭の、燃えるような椛。
六本木の高層ビルも木々の間から覗く。
結婚式場として有名な神社だが、小さな宝物庫もあり、生前使われていた品や辞世の和歌など大切に保管されている。
たまにはこうした歴史と、その人物に触れるのも、都会の垢をすすぎ流してくれる良い機会かも知れない。
椙森神社の " 富塚 " です。


江戸の頃、初めて富くじが売られたところだそうです。
少し歩くと、この界隈で有名な べったら漬け の市が立つところに神社がありました。

小さな小さな、神社です。
べったら漬けの神様がおられます。
そして、もう少し先まで脚を伸ばして見ました。
十思公園 です。
このあたりは伝馬町刑場跡なのです。⇒十思公園

昼間の明るいうちなら兎も角、あんまり気持ちの良いものでもありません。

処刑された人たちを祀るものでしょうか、昼のうちはこの扉が開いていると聞きました。
十偲公園には、伝馬町刑場で処刑された " 吉田松蔭終焉の地 " の碑もあります。

時の鐘 があります。⇒時の鐘

そうそう、言い忘れましたが、ボージョレーは樽仕込で空輸されたもので 美味しかったです。
田舎もんのirifuneは、日本橋の鋳鉄の欄干にいたく感心した次第です。

橋を渡る手前に 『東京市道路元標』 とある立派な街灯が建っています。⇒道路元標

正面に 『日本国道路元標』 の刻印がある銘版が埋め込まれていて 左右には各所への里程標もありました。

いよいよ橋を渡ります。


橋の左右に獅子が東京市の市標をもって通る人々を見守っています。
中央では 伝説の怪獣 ドラゴン もいます。

渡り終えて振り返れば、獅子も安堵のご様子。

" 無事に旅をいたせよ " という声が聞こえてきそうです。
架橋当時の姿をはじめ詳しくはこちらを⇒日本橋
最後に見たのは、

チャリンコタクシー。雨の日以外なら楽しそうです。
入船住人達の友人が店長として、職場の先輩と始めたお店です。⇒詳しくはこちら
麹町二番町のビルの地下1階です。


お店の中は、ちょっとしたサロン風です。

おしゃれな感覚で雰囲気は GOOD !

「 お取り寄せ」 されたさまざまな食材が、センス良く調理されてテーブルを飾っていました。

美人の店長は厨房を一人で切り回して てんてこ舞いでした。

入船の住人達で贈ったお祝いの花かごです。店内は胡蝶蘭であふれんばかり。
言い忘れましたが、本当に美味しい料理でした。





